そもそも田七人参は、広西省(現:広西壮族自治区)田州府にあった大きな薬市場で売買されていた"三七人参"のことで、この"三七人参"が優れたものだったことから、名前が一般化していったと言われている。
当初は"田州府の三七人参"と呼ばれたものが、やがて"三七(サンチー)"と短くなったのである。呼び名が簡略化されるということは、それだけ人気があったということ。しかも、大変高価なものだったので、上流階級の人々だけしか田七人参を服用できなかったという。また、当時の金持ちた
ちはこぞって田七人参を手に入れ、家族に服用させた。そして、娘が嫁に行くときの嫁入り道具の一つにしたというから、田七人参がいかに貴重な秘薬だったかわかると思う。
このようなことから、田七人参は大量採取され、やがて生産量が激減。いまから500年ぐらい前に、主産地を雲南省に移すことになった。現在、中国で採れる田七人参は、雲南省のものがベストとされるが、いまだに栽培量はかなり少なく大変な貴重品である。
昔の人は、"雲薬"と呼んで大切に扱っていた。家族の誰かが病気になると、田七人参の粉末を料理に入れて食べさせるのが習いで、子供たちは"不思議な薬"として田七人参を知っていった。
田七人参が雲南省で作られる理由とは
田七人参が雲南省で栽培されるようになったのには、大きな理由がある。それは、田七人参が極めて特殊な気候条件の下でした育たないからである。海抜2千~2千500メートルという高地で、平均気温は11度以上、霧が降りない期間が年間200日以上なければならないのだ。野生の田七人参は、こうした厳しい気候の下で、しかも高地の森の中で育つ。
つまり、こうした場所は栄養分タップリの肥沃の土地ではないから、育つのに7年もかかるわけだ。そして、この7年の歳月の間に、土中の養分をタップリと吸収するのである。
現在、雲南省で生産されている田七人参の約8割が、文山県という高地で作られている。
この文山県は前記したような気象条件が整っている土地で、田七人参の畑はほとんどが山間部の傾斜地にある。そのため農作業はかなり手間がかかる。
栽培している農民の苦労は並大抵ではない。それは、田七人参が気難しい点に尽きるだろう。元来、森の日陰に自生していたから、田七人参は直射日光を嫌う。そこで、農民たちは畑に覆いをかけて日光をさえぎり、その下に田七人参の種をまく。そして育って花をつけると、今度は根茎部に栄養を行き届かせるために、花茎部を切り取る作業をする。
こうした手間をかけたうえ、7年もまってやっと収穫するが、一度収穫した畑はその後使えない。田七人参が育った土地は、その後10年以上も雑草さえ生えないほどやせ細ってしまうからだ。 つまり、田七人参は同じ土地で連作ができず、そのために農民たちは焼畑をしながら移動栽培をしているのだ。 こうして見てくると、田七人参がどれほど手間がかかるものか、そして、私たち中国人がなぜ貴重品扱いするか分かっていただけると思う。